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大学進学塾 灘ゼミのテキスト紹介(PDF付)―阪大英語の和文英訳・全37題 直近10か年過去問演習(2012~2021)

大学進学塾 灘ゼミのテキスト紹介 阪大英語・和文英訳・直近10か年
※イメージです。

大学進学塾 灘ゼミのテキスト紹介

本日ご紹介するのは、

阪大英語の和文英訳 直近10か年過去問演習

です。

本記事の下部にPDFがあります。

阪大英語の和文英訳(第4問/全学部〈外国語学部除く〉) 直近10か年

次の日本文の下線部の意味を英語で表しなさい。

※以下、すべて太字部分が下線部となります。(ブログ注)

和訳する本文のみ掲載。解答例は、下部のPDF内にあります。解説はありません。

※イメージです。

1⃣ 2021年

 私が「学ぶことって楽しいな」と思えるようになったのは,大学を卒業して社会に出てからです。

  一度学びの楽しさを味わってからは,やみつきになりました。学べば学ぶほど,いままでわからなかったことがわかるようになり,それによって自分の視野が広がります。知らないことや新しいことに出合うと好奇心が刺激され,もっと多くのことを学びたくなります。

(池上彰.2020.『なんのために学ぶのか』SBクリエイティブより一部改変)

2⃣ 2020年

  過去の多くの哲学者は,同時代の悲劇を目にするたびに,私たち人間の愚かさを告発し,そのような悲劇が二度と繰り返されないために,どのように私たちの愚かさを克服するべきかを考え,話し,書いてきました。人類はこれまでに高い授業料を払って,様々な失敗からの教訓を得ているのです。

  過去の哲学者がどのような問いに向き合い,どのように考えたかを知ることは,とりもなおさず,私たち自身が,当時の人間と同じような愚かな過ちを再び繰り返すことのないよう,高い費用を払って得た教訓を学ばせてもらうという側面があります

3⃣ 2019年

  油井にとって宇宙ステーションから見た地球や星々は,想像をはるかに超える美しさであった。「あの薄い窓を隔てた外側は死の世界なんですね。宇宙の闇はあまりに深く,そして,その死の世界に言葉にならないほど美しい地球があるんです。とりわけ私にその感情を呼び起こさせたのは,地球を取り巻く大気の薄さでした。周囲は真っ暗な死の世界であるのに,地球は生物で満ち(あふ)れている。

4⃣ 2018年

  こんな経験はないだろうか。独りでいると寂しいのに,あまり長い時間,皆で一緒にいると,どこか鬱陶(うっとう)しくなる。人類の場合,社会をつくることが生物学的に決まっているわけではないので,集団をつくってともに生きることは自然なことではない。そのために人類はどのような工夫をしているのだろうか。

5⃣ 2017年

  幼稚園でほんとうに自由遊びをさせている幼稚園は,保護者の評判が悪いんです。「先生がなんにもしてくれへん」と言うて。ところが,ほんとうに子どもに自由に遊ばせている先生というのは,すごいエネルギーがいるんです。子どもはいろんなことをするから,危ないと思いながら,ずっと見守っていなければならないでしょう。これは,ある程度,腹がすわってないとできない。

※イメージです。

6⃣ 2016年

  人間の精神状態が環境に大きく左右されてしまうのは直感的に理解できるし,あまりにも自明なことのように思われるが,それを科学的に証明するのは実際のところ容易ではない。しかもそれが健康状態と密接な関係があることを立証するとなると事はいっそう複雑である

7⃣ 2015年

今私たちのまわりにいるバクテリアは38億年という歴史を持つ存在なのです。リスもヒトも同じこと,すべての生きものが38億年という時間がなければ今ここには存在しないという事実を忘れてはなりません。眼の前を小さなアリがはっていると,なにげなくつぶすこともあるのではないでしょうか。でもその時,このアリの中に数十億年という時間がある,それだけの時間があって,このアリはここにいるのだと思ったら,そう簡単にはつぶせなくなります。いのちの重みという言葉には多くの意味が含まれていますが,このとてつもなく長い時間も重みの一つに違いありません。

8⃣ 2014年

  言葉以上におたがいを非常に親しくさせるものはありません。にもかかわらず,その言葉を共有しないとき,あるいはできないとき,知らない国のまるで知らない言葉がそうであるように,言葉くらい人をはじくものもありません。際立って親和的にもなれば,際立って排他的になるのも,言葉です。

9⃣ 2013年

  電子メールで「しまった!」という経験をお持ちの方は多いかと思います。郵送と違って,発送までにかかる時間が短い分,メールでは「出さなきゃ良かった」文面をそのまま送ってしまうのです。もちろん,こうした事態は以前にもありました。手紙にせよ,印刷物にせよ,文字化した自分の考えやメッセージに後から違和感を抱くということは,しばしば起きます。文章は所詮(しょせん),モノですから,何となく自分の生の声を伝えていないように思えてしまう。書き換えれば良かったと後悔する。書かれたメッセージというのは,それだけ危ういのです

10. 2012年

  科学者たちが正しい答に至る道は,最短距離の直線道路ではありません。彼らはたくさんの失敗を冒すことを怖れないのです。それだけが,正解に至る唯一の道だからです。ただし,失敗の原因をじっくりと精査することを忘れません。多くの失敗から学ぶのが科学者の日常なのです。

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阪大英語の和文英訳(第6問/文、外国語以外) 直近10か年

1⃣ 2021年

  なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか?

  残念ながら,その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは,それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは,その答えは国民が自分の頭で考え,自分の言葉で語らなければならないことだからである。

  表現の自由にしろ,公共の福祉にしろ,民主主義にしろ,それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ,「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たちを説得して翻意させることはできない

(内田樹.「民主主義をめざさない社会」http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.htmlより一部改変)

2⃣ 2020年

  歴史上の事実について書くのは傲慢なことだ。ペンを持つ人間は,既にすべてが終わっている特権的な場所から,実際には見ていないことを,まるで見てきたように書くのだから

3⃣ 2019年

  自分が読みたい本を読む,これが私の読書の鉄則ですが,その際に,間口(まぐち)をできるだけ広くしておいたほうがいいとも思っています。

  本との出会いは,ある種,宝物を掘り出すようなものです。宝はどこに埋まっているかわかりません。いつもと違う道を歩いていて,石ころに蹴躓(けつまず)いて倒れたら,そこに宝が落ちていたなんてこともあるかもしれない。それゆえ,少しでも興味のある分野の本なら,当面の仕事や勉強に役に立たなくても,まずは手に取ってみるくらいに「心を開いていること」が大切です。

4⃣ 2018年

  科学者が謙虚に自然現象の謎を解き明かして,「法則」に対する認識を深めるとき,法則の先にある奥深い世界がとらえられる。そして,それまで無関係だと思っていた複数の法則が自然現象の異なる表現であって,実は相互に関連し合っていることが分かれば,一段深いレベルでの理解に達したことになる。そのとき,自然は全く新たな形で人々の前に現れるだろう。

5⃣ 2017年

  変化をどう受け入れていくかで人生が変わっていきます。変化を拒絶すれば,思いどおりにならない現実に直面し,ストレスを感じることでしょう。「昔は良かったのに」といつまでも悔やんだり,懐かしんで過ごすことになります。「変化は当たり前のこと」と柔軟に受け入れていけば,人生の流れと調和しながら生きることができます。

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6⃣ 2016年

  文字が文化を進めるのに大きなはたらきをするのはたしかであるが,文字があらわれたために失ったものもある。そのひとつが,記憶力である。文字がないと,大事なことは,記録して保存するということができない。すべては頭の中へ刻み込まれ,記憶として保持される。記憶はきわめて重要な保存の手段,唯一の方法であった。

7⃣ 2015年

  「歴史」と言われると,われわれはだれしも,なにか,わかったという気がする。歴史は過去にあった事実だ,と考えるのがふつうだ。しかし,そう考えておしまいにしないで,もう一歩踏みこんで,それでは「過去にあった事実」というものの正体は,いったいなにか,と考えてみる。そうすると,これがなかなか簡単には決まらない。人によって意見や立場が違うので,過去の事実はこうだった,いや,そうではなかったと,言い争いになりやすい。

8⃣ 2014年

  「知」,あるいは「知る」ということの根底にあるのは,ものを区別し,区別されたものそれぞれに名前を付け,それを明確な形で把握しようとする態度です。それが重要であることは言うまでもありません

9⃣ 2013年

  問題分析や議論の方法を教わってこなかった学生に,「問題分析ができない」とか「自分の意見がない」と批判しても,それはないものねだりである。それはちょうど,まだ泳ぎ方を教わっていない学生をつかまえて,「なぜ泳げないのか」としかるようなものである。問題の原因を探り,歴史的経緯を調査し,可能性のある選択肢をクラスで議論する方法は,自然と身につくものではない。

10. 2012年

  美術作品というものは,ただみて自分なりにいいなとか,よくないとか感じればいいのだ,美術の歴史を研究したりする専門家でもないかぎり,特別な知識などいらないと,よくいわれます。でも,それはあくまでも俗説にすぎません。どうしてこのような俗説がはびこってしまったのでしょうか。ほんとうのところはよくわからないのですが,大きな理由としては,たとえば絵をみるときに,良い悪いのはっきりした基準がない,ということがあげられるでしょう。数学の正解にあたるものが,絵の場合にはないのです。しかし,だからといって,自分の好きかってにみてもいいというものでもありません。自分には「わからない」,だから「価値がない」とかんたんにいわれては困るのです。

阪大英語の和文英訳(第5問/文学部) 直近10か年

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1⃣ 2021年

  ある登山家がひとつの登山をして,その記録を文章に起こし単行本にまとめたとする。しかし彼が本を書いたからといって,その本の読者は,彼の登山の根本がこの本によって侵食されているとは感じないだろう。登山家にとっての表現はあくまで登山行為そのものであり,その登山行為をあとから文章にまとめたところで,そんなものは所詮“おまけ”,彼の登山の副次的な生産物にすぎない。あとから本を書こうが書くまいが,いずれにせよ彼は山には登っただろうし,登っている最中にあとから本を書く自分を意識するなどということもない。つまりこのとき登山家は純粋に行動者――あるいは行動的表現者――として完結できている

(角幡唯介.2020.『旅人の表現術』集英社)

2⃣ 2020年

  「道聴塗説」という言葉があります。人から聞いたことを自分では理解しないで,そのまま他の人に伝えるということです。ある人の考えを聞き,なるほどその通りだと深く納得しても,他の人から違うことを聞けば,今度はそれを鵜呑みにして人に伝えるのです。

  本を読む時も,著者の考えをそのまま無批判に受け入れ,その内容について自分では考えないで他の人に伝えるのでは本を読む意味はありません

  大切なことは,読書を通じて,自分のそれまで持っていた考えや生き方を振り返って吟味し,さらには,自分の生き方を見直すということです。

  本をどう読むかは生き方そのものを表しますが,本の読み方が変われば,生き方も変わってきます。

3⃣ 2019年

  言葉は必ず,誰かから習っているのであって,その人だけのユニークな部分は,ほぼゼロなのです。使う言葉も,だいたい辞書に載っているような,決まった意味のものを使うことになっている。文法も,ほかの人がわかるように言わなければならないから,特に変わったところはない。語彙(ごい)も文法も,その人だけの独自なところは,まあ,ないのです。誰でも言いそうなことばかり毎日言っているのに,なぜ,その人独自のユニークさが現れているのだろう。

4⃣ 2018年

  文化とは,人が自ら住んでいる地域内での生存の手段として形成したもので,個々人が集団から継承した社会的遺産を意味する。ある特定の文化内で,我々はコミュニケーションという手段を通して他者との関係を築き,自分に与えられた仕事を遂行し,目標を達成している。そして1つの世代から次の世代への文化の発展,維持そして伝達や,複数の世代にわたる文化的目標と文化的価値をより堅固なものにするという意味においても,コミュニケーションは重要な役割を果たしている。このように,我々が文化と文化に即した行動に対する影響を理解する上で,コミュニケーションは特別な役割を果たしているのである。

5⃣ 2017年

  いよいよ神様に召されるその時が来て,この世とのお別れの記念にこれまで愛聴してきた数多(あまた)の名曲の中からただ一曲を聞きながら死んでゆけるとしたら,どの曲を自分は選ぶだろうか

  ひとり私に限らず,時間とともに消えてゆくゆえに美しい音楽の愛好者なら一度はこの問いを自らに発して楽しいような切ないような思いに(しば)し浸ったことがあるのではないか

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6⃣ 2016年

  現代の若者にとって重要な価値を帯びているのは「コミュニケーション」と「承認」である。それは多くの若者の幸福の要因であるとともに,それが得られない若者にとっては決定的な不幸すら刻印する。たかがコミュニケーションの問題が幸・不幸に直結してしまうのは,「現状が変わらない」という確信ゆえである

7⃣ 2015年

  二つのことが問われている。芸術作品には作り手と受け手がいる。では,なぜ作るのだろう。そして,なぜそれを求めて受けとるのだろう。芸術作品は,必ずどこか理解を超えたものをもっている。受け手にとってだけではなく,作り手にとってもそうだ。作り手は,自分の理解をはみ出たものを自ら作り出してしまう。しかもそれは余分な不要物ではなく,はみ出たそこにこそ,芸術の力と生命とが宿っているように思われる

8⃣ 2014年

  文章を書く場合,多くの人がメモをとるだろう。何も考えずに書き出すと,よほど書き慣れた人でないかぎり,考えが深まらなかったり,まとまらなかったりするのは目に見えている。考えるべき問題について,多方面からメモをとっておく必要がある。それと同じように,会話する場合も自分の主張を本格的に語る前に,人に質問をしたり,出来事を確認したりする。つまり探りを入れながら,だんだんと自分の意見をまとめていくわけだ

9⃣ 2013年

  過去を背負って生きざるを得ないのが人間だ。過去の積み重ねがいまの自分なのだから,過去から逃げ出していまの自分を語ることなどできない。もしいまの自分を肯定できない人は,過去の出来事についても後悔ばかりが思い出されるのではないだろうか。反対に,いまの自分を肯定できる人は,過去の出来事についても受け入れられるのではないだろうか。人間とはおもしろいもので,そのときどんなに苦しんだことでも,時間が経つと「なぜ,あんなにつらかったのだろう」と思うから不思議だ。たぶん,いまの自分を肯定できるから,過去の自分も肯定できるのだ。それどころか,つらい経験も「あのつらい経験があるからこそ,いまの充実した自分があるのだ」と思えるのである。

10. 2012年

  文章も文法的なまちがいはない,論理もちゃんとしている,冒頭から結論までの道筋もとおっている,それでいて,どうも説得力がない,迫力がない,といった文章にぶつかることがあります。そういう文章は,どこか,魅力がなく,生命の通った感じがしないのです。そんな文章をどうしたら生き生きさせられるでしょうか。表現の面でいいますなら,修辞にくふうを加えることです

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阪大英語の和文英訳(外国語学部の第4問) 直近10か年

  次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

※以下、すべて太字部分が下線部となります。(ブログ注)

1⃣ 2021年

※著作権上の理由で本文なし。

2⃣ 2020年

  (1)思考は「動かす」ことが必要です。動かすためには刺激がなければならない。自分ひとりの頭の中で考えを深めるのは難しいことです。多くの小中学校で,「いまから15分でこれこれの問題について考えてください」というように「考える時間」をつくったりしますが,たいていは最初の1分しか考えていません。(2)あとは全然違うことを考えています。思考が行き詰まってしまう。そこで「対話」が必要になるのです

  (3)ある考えに対して,ちょっと違う考えをぶつけられれば,次の考えに進むことができます。矛盾をどうにかしようと思考を働かせられるのです

(齋藤孝『読書する人だけがたどり着ける場所』)

3⃣ 2019年

  NHKという大組織の中にいても,私はその頃から孤独を楽しんでいた。

  他の女性たちはというと,誘い合ってお茶を飲んだりご飯を食べに行ったり……。

  (1)私はほとんど参加しなかった。つき合いが悪いと思われそうで,最初のうちは一緒に行っていたが,人の噂話ばかりで全く無駄な時間だと思えたからである。

  そのうちに,私がスタジオで何か書いていることに気づいたディレクターが,外部のライターに出していた仕事を,そんなに好きならやってみたらと回してくれたので,番組の台本書きの仕事もくるようになった。

  多少つき合いは悪かったかもしれないが,そんな私を認めてくれる人もいた。

  (2)普通の会社であっても空き時間の使いようで,一人の時間を確保することはできる。それが仕事への反省ややる気につながり,将来への夢を育ててくれる。

  現在の仕事に全力をそそぐのはもちろんだが,その中でも空き時間を一人で考えることに使っていると,必ず将来につながる。

  私の場合,ともかく物書きになりたいという夢があったので,空き時間はすすんでそのために使った。(3)それが他人の目に留まり,「夢のハーモニー」*のための詩や物語を書くことが出来,あれは誰の作品?  と反響があると嬉しかった。それを続けているうちに,ある出版社から「面白いから本にしないか」という話が持ち込まれ,第一作が生まれたのだ。

(下重暁子『極上の孤独』)

注 

*著者がかつて関わったNHKのラジオ番組

4⃣ 2018年

※著作権上の理由で本文なし。

5⃣ 2017年

  (1)人はどういうわけか,年齢を重ねれば重ねてゆくほど,「童心に帰りたい」という本能が強まってくるようで,その本能を満足させるために趣味を持つのではないか。そんなふうにも思えてくる

  (2)無心になって没頭できるような趣味を持つ人には,若々しい人が多い。たぶん,そうやって,ちょくちょく童心に帰って遊んでいるから老け込むことがないのではないだろうか

  それはともかく,(3)年をとってから新しいことを始めるよりも,子供の頃に多少なりとも経験していたことを復活させるほうが,抵抗感なく,すーっとその世界に入り込むことができるだろう。また,その趣味を途中で投げだしてしまわないコツになるのではないだろうか。

  子どものころ,だれでも,ときを忘れるほど夢中になったものがあるだろう。(いまさら)などと思わずに,あのときの心のトキメキを思い出してみよう。

(斎藤茂太  『笑うとなぜいいか?』)

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6⃣ 2016年

※著作権上の理由で本文なし。

7⃣ 2015年

  (1)辞書は必ずしも万能ではないと知り,荒木は落胆するどころか,ますます愛着を深めた。かゆいところに手が届ききらぬ箇所があるのも,がんばっている感じがして,とてもいい(2)決して完全無欠ではないからこそ,むしろ,辞書を作ったひとたちの努力と熱気が伝わってくるような気がした

  (3)一見しただけでは無機質な言葉の羅列だが,この膨大な数の見出し語や語釈や作例はすべて,だれかが考えに考え抜いて書いたものなのだ。なんという根気。なんという言葉への執念

(三浦しをん『舟を編む』)

8⃣ 2014年

  (1)同質な社会でばかり生きるデメリットは,その中の価値観にどっぷりと漬かってしまい,知らず知らずのうちに,それ以外の価値観をなかなか理解できなくなってしまうことです。[中略]

  (2)かぎられた世界,かぎられた価値観しか知らなければ,それ以外の世界やそこで暮らす人々の状況を想像するのは簡単ではなく,自分の価値観ですべての物事を判断してしまいがちです(3)これでは,どんどん思考の幅を狭めてしまい,物事の本質を見極めるという状況からますます遠のいてしまいます

  だからこそ,同質な世界だけで生きることは避けるにこしたことはありません。意識的に異質な世界にどんどんかかわっていくべきです。

(伊藤  真『本質をつかむ思考法』)

9⃣ 2013年

  人間は誰しも心のなかに傷をもっている。もっともその傷の存在をあまり意識しないで生きている人もいる。そのような人は一般的に言って,他人の心に傷を負わせる――ほとんど無意識に――ことが多いようである。

  (1)それではその傷はどのようにして癒されるのか。心の傷の癒しは,古来からもっぱら宗教の仕事とされてきた。いろいろな宗教がそれぞれの教義や方法によって,人間の心の癒しを行ってきた(2)しかし,近代になって人々が宗教を信じがたくなるのと同時に,心理療法という方法によって,心の癒しができると考え,しかもそれは「科学的」な方法でなされると主張する人たちが現れた(3)そのような「科学」を絶対と信じる人には,それは時に有効かもしれないが,そうでない人には,人間の心が科学的方法で癒されたりするものでないことは,少し考えるとわかることである

(河合隼雄  『中年クライシス』)

10. 2012年

  (1)人間の心理というのは不思議なもので,最初はそれほどいいと思わなかった物でも,いったん自分で買おうと決断すると,そのいいところばかりを見るようになる(2)買う前は欠点に敏感だったあなたも,いったん所有することになると,長所ばかりを強調することになる。そういうわけだから,テレビなどでもっともよくベンツのコマーシャルを見る人間は,今現在ベンツを所有している客自身だということになる。(3)われわれはいったん自分自身で決定を下すと,それがいかにおかしな事態を招くことになるとしても,それに向けて一直線に進んでいく習性を持っているのである。

(植島啓司  『偶然のチカラ』)

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テキストのPDF

①目次②問題③解答の構成になっています(全54頁)。

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